IWAKUMA RIKIYA
岩熊力也 / 画家
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Weight

 

「どうしてみんなぼくに期待するんですかね、ほかの連中には期待できそうにないことを? どうしてぼくは耐えなきゃいけないんですか、だれもがまんできないことを? だれにも背負いきれない重荷を、どうして、ぼくが?」

ドストエフスキー「悪霊」(亀山郁夫訳)、スタヴローギンの台詞より

 

Take a load off, Fanny

Take a load for free

Take a load off, Fanny

And you put the load right on me

The Band  THE WEIGHT" より

 

したがってわれわれは、死者たちのこともまったく忘れていたというのではなかった。ただ生存の維持のみを目的とする「ごっこ」の世界が、皮膚から露出した白骨のような死者の重みを受けとめられなかったというだけである。

〜 江藤淳 「ごっこ」の世界が終わったとき 〜  より

 

2012年から制作している「LAUNDRY」のシリーズは死者の肖像画を水で洗い流し最後に草木で染める作品であった。震災、そして父の死を前にして、伝統を喪失し土地との繋がりも希薄になった日本人にはたして死者を弔うことができるのだろうか、縁もゆかりもない土地の火葬場で焼かれた父の魂はどこへ向かうのか、絵画はいまもまだ死者と生者をつなぐことができるのだろうか、そう考えたことがきっかけであった。ともかくそこで私は死者の罪や穢れを水に流し自然に還すということをやった。そして死生観をテーマとしたメキシコでの展覧会で展示した。いまや生者だけが埋め尽くすこの地上に死者たちの空間がひらければと思った(遺跡発掘の作業員として働いてもう何年にもなるが、実際我々の生活する地面の下は死者たちの記憶でいっぱいである)。会期中メキシコは死者の日をむかえた。翌2013年秋、かつて占領軍によって接収されGHQ本部の置かれていた建物内のギャラリーではA級戦犯の肖像を水に流した。死者の罪を後世の人間が暴きたて批難するのはこの国の文化ではあるまい、そんな想いからであった。

だが、水に流された罪や穢れはどこに行くのだろう。重荷を背負うものは誰なのか。

311
後、またしても私たちが眼にしたのは、日本人であることが恥ずかしいと口にしながら意見を異にするものを激しく断罪し、高みから正義を叫ぶ人々の群れであった(理想を掲げて夢を追う進歩的文化人たちの帰還だ)311以前には24時間煌々と灯りを照らし繁栄と平和を謳歌する日本人の一人であったことなど早くも忘れ、戦犯を見つけ出し吊し上げることに躍起となっている姿は1945815日以降にあらわれた人々の群れの生き写しである。さっさと重荷をおろし、誰も彼もが被害者の顔をしてあぐらをかいている。だが歴史とは背負うものである。よそ者面をしてその上であぐらをかいているかぎり、また同じことを何度でも繰り返すはめになる。正義を絶対化したものの先にひらけるのは全体主義への道があるばかりではないのか。

今回、新たに派生した問いから生まれた「ハヤサスラヒメ」「バシー海峡」「ワンピース(鳥尾鶴代とチャールズ・ルイス・ケーディス」の3作品を中心にWeightと題して展示する。