IWAKUMA RIKIYA
岩熊力也 / 画家
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第五書簡

岩熊力也→今村仁


今村仁様

あなたから再び緑のドットのヴェールと意地の悪そうな二つの眼を持つ楕円の絵画が届く。

ドットとは私にとって均質化された世界、個性を奪われ記号化された世界、すなわち「世間」ととったわけですが、前回そのドットのヴェールを潜り抜けるにあたって私は2人の旅人を透明な存在としたのでした。「世間」の眼を欺く為に。それはちょうどオウムの逃走犯があえて人ごみに紛れることで姿を消したように。しかし旅人2人のうち付き人のほうがいなくなってしまいました。どうやら向こうの世界へと行ってしまったようです。これは迎えに行かなくてはならないでしょう。再びドットのヴェールに突入です。

浅草に風流お好み焼き「染太郎」という老舗のお好み焼き屋があります。坂口安吾はこの二階をまるで自分の部屋のように出入し執筆していたそうです。今でも安吾が手をついて火傷した鉄板が使用されているといいます。

「風流」の語を紐解くと風流踊がでてきますね。これは踊念仏が世俗化したものということです。踊りとは元来死者の魂を鎮める為に大地を踏み鳴らしたのでした。その際派手な飾りに派手な衣をまとう。これが「風流」でした。生者が活き活きすることで死者の魂も安まる。天の岩戸の前でアメノウズメは乳をさらけ出しながら桶を踏み鳴らすことで世界は光を取り戻したことを思いだしてもよい。震災後の日本において私にはこのアメノウズメの「軽さ」にこそ惹かれるのです。

しかし「風流」は「世間」と化した。字面のままの風に流される様となった。

脱原発だと声があがれば脱原発だと風に流され、再稼働阻止と声があがればどこからともなくうじゃうじゃ吹き寄せられる人の群。わかりやすい言説ほど巧妙に嘘が仕組まれているものです。しかし彼らは日本の国力を衰退させようとしている勢力に加担しているなどとは夢にも思っていないのです。高揚感と一体感が彼らを導いていきます。正直こういうのを見ているとじゃんじゃん原発稼働してしまえと無頼の虫が私の中を駆けめぐってしまう。(こうやって親原発的な発言をしただけでレッテルを貼り付け吊るし上げられる雰囲気にはなってきています。これも「世間」の力です。動物愛護団体がテロリストと化すように反原発デモが暴徒と化しても何も驚きません。おそらくは安保闘争の時も知らず知らずのうちに共産思想に染まっていった若者は多かったのでしょう)

どうにもひねくれものです。しかし真実を見極めようと少しずれた場所に佇み続けるというのもこれはこれで大変なことです。「世間」は知らぬ間に僕らのなかに巣食います。

さて、そんなことを考えながら制作したらドットを担いで踊る裸女と獣の図が生まれました。我ながら思わぬところに転がりました。これもコラボレーションの効能です。旅を続けましょう。


岩熊力也様

〜踊る阿呆にみる阿呆 おなじ阿呆なら踊らにゃ損々〜

岩熊さんからの書簡を読み、最初に想ったのはこの阿波おどりの唄の一節でした。踊り念仏とは違いますが、もともとは雨乞いの踊りだったようです。

田畑に雨が降るよう希い、収穫を祈る。幼い頃、大分県の田舎で祖父の初盆の時にみた「供養踊り」が想い出されます。それは江戸時代以前から行われているらしく、初盆を迎える死者の霊を供養する地方の盆踊りです。東京で生まれ育った僕にとって、それは不思議で印象的な光景でした。祖父の家は大分県で代々農業を営んでおり、痩せて猫背だった祖父は晩年もよく働き、寡黙で生きることが不器用な老人でした。

集落の人々が提灯を携えて真っ暗な夜道を歩き、空き地に集う。暗いろうそくの灯りのなか、亡くなった親族の遺影がずらりと机に並んでいる。祖父の写真はそのなかの一つであり、そのほかに多くの遺影がある。とても若い人の遺影もある。遺影の前には蝋燭の光が燈っている。やぐら太鼓の重く低い音が鳴り響くなか、まわりを人々がゆっくりと踊る。伴奏はなく、太鼓の音だけがずっと地響きのように鳴っている。派手な盆踊りとはほど遠い。女達が手づくりのおにぎりや、おかずを皆に振舞う。太鼓を叩く男達は誇らしげにしていた。自分の番が来るのが待ち遠しいのだ。とにかく灯りがすくなく、暗かった。都会の公園で催されるような派手で賑やかな盆踊りとはあまりにかけ離れた、地味でしずかな盆踊りだった。

その光景は僕には少し異様な、前近代的な光景に映りました。土俗的なのではないかとさえ思いました。がしかし、何故かとても懐かしく、やさしい風景にも思えたのです。けれどもそれは東京人のノスタルジックな奢りなのかもしれない。近代化によって地方の文化・伝統・因習はないがしろにされ、いずれはなくなってゆく。それはそれで自然な成り行きなのでしょう。古いものがすべて良いわけではないから。岩熊さんから届いた絵に描かれている裸の女たちと獣たちは、にぎやかな色彩のドットを担いで活き活きと踊り、死者の魂を鎮めているかのようです。僕はもう彷徨する旅人を捜してドット地獄に陥れ、苦しめようとは思いません。今回、「供養踊り」の印象を自分なりの表現で描きました。僕は少なくとも自分の絵のなかでは活き活きと「踊る阿呆」になりきって描いてゆこうと思います。

今村仁